日本のバブル崩壊とは?日経平均の最高値と34年後の更新
日本のバブル崩壊は、1989年12月29日に日経平均が38,915円87銭の最高値を付けたあと、1990年から株価と地価が崩れていった出来事です。この最高値が更新されたのは、34年あまり後の2024年2月22日でした。何が起きたのかと、その後の長い低迷を解説します。
目次
日本のバブル崩壊で何が起きたか
1980年代後半の日本では、株価と地価が大きく上がりました。1989年12月29日の大納会で、日経平均は終値38,915円87銭(取引時間中の高値は38,957円44銭)の史上最高値を付けています。
当時は、翌年さらに上がるという強気の見通しが市場を覆っていました。株価だけでなく地価も大きく上がり、土地を担保にした融資が、さらに株や土地へ向かう流れができていました。
日本のバブル崩壊で相場はどう動いたか
年が明けると相場は崩れ、1990年1月だけで日経平均は1,726円92銭下げました。株価の下落はその後も続き、地価も下がっていきます。
日本のバブル崩壊はなぜ起きたのか
1985年のプラザ合意のあとの円高による景気の落ち込みを和らげるための金融緩和が、株や土地への資金の流入につながったとされます。価格の上昇が続くという期待が、実際の価値を超えた値上がりを生みました。
崩壊のきっかけになったのは、金融の引き締めです。日銀は1989年5月に公定歩合を2.5%から引き上げ始め、1990年8月までの1年3か月の間に5回の利上げで6.0%にしました。大蔵省も1990年3月27日、銀行の不動産向け融資の伸びを抑える、いわゆる「総量規制」を通達しています。
金利の上昇と融資の抑制が重なり、株と土地へ流れていた資金の流れが止まりました。値上がりを前提に借りていた人や会社は、返済のために株や土地を売らざるを得なくなり、それがさらに値下がりを呼びました。
日本のバブル崩壊のその後
バブルの崩壊は、銀行の不良債権の問題につながりました。1997年11月には北海道拓殖銀行(17日)と山一證券(24日)が相次いで経営破綻し、日本の金融システムへの不安が広がりました。日本は長い期間、低い金利と金融緩和を続けることになります。
株価の下げは長く続き、日経平均はリーマンショックのあとの2009年3月10日に、終値で7,054円98銭まで下げました。1989年の最高値の5分の1以下の水準で、バブル崩壊後の最安値です。
日経平均が1989年の最高値を更新したのは、2024年2月22日です。終値は39,098円68銭で、34年2か月ぶりの更新でした。
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バブル崩壊のあとの長い金融緩和を象徴する出来事が、2013年の黒田砲です。その後、日銀は利上げの局面に入りました。下のカードから、緩和から引き締めへと移っていく日本の金融政策の節目を、1分足でたどれます。
よくある質問
- 日本のバブル崩壊とは?
- 日本のバブル崩壊は、1989年12月29日に日経平均が38,915円87銭の最高値を付けたあと、1990年から株価と地価が崩れていった出来事です。
出典
- バブル崩壊|Wikipedia
- 2009年3月10日 日経平均7054円98銭、バブル崩壊後最安値|日本経済新聞
- 1989年12月29日 日経平均が最高値|日本経済新聞
- 日経平均、終値3万9098円 34年ぶり最高値更新|日本経済新聞
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