ニクソン・ショックとは?360円の固定相場が終わった経緯
ニクソン・ショックは、1971年8月15日に米国がドルと金の交換を停止した出来事で、1ドル=360円の固定相場の時代を終わらせました。円は同じ年の12月に308円に切り上げられ、1973年には変動相場制に移っています。今の為替相場の出発点になった経緯を解説します。
目次
ニクソン・ショックで何が起きたか
1971年8月15日、米国のニクソン大統領は、ドルと金の交換を停止すると発表しました。それまで世界の通貨は、金と交換できるドルを中心に、ドルとの交換比率を固定する仕組み(固定相場制)の上に成り立っていました。
発表された新しい経済政策には、金とドルの交換の停止のほか、輸入品に10%を上乗せして課す輸入課徴金と、90日間の賃金と物価の凍結も含まれていました。
日本は1ドル=360円の固定相場で、この交換停止によって、1944年から続いてきた戦後の通貨の仕組みが大きく揺らぐことになりました。
固定相場の仕組み
戦後の通貨の仕組みは、1944年に米国のブレトンウッズで合意されたことから「ブレトンウッズ体制」と呼ばれます。米国がドルと金を決まった比率で交換することを約束し、ほかの国は自国の通貨とドルの交換比率を固定しました。
ドルが金とつながり、各国の通貨がドルとつながることで、どの通貨も間接的に金と結びつく仕組みでした。日本の1ドル=360円も、この仕組みの中で決められた交換比率です。
交換比率が固定されているので、ふだんの為替の値は大きく動きません。そのかわり、比率を変えるときには、一度に大きく変わることになります。
ニクソン・ショックで相場はどう動いたか
発表が日本に伝わったのは、日本時間の8月16日午前10時で、東京の外国為替市場はすでに開いていました。欧州の市場が閉鎖されたのに対し、日本は市場を開けたまま、360円でドルを買い支え続けます。
しかし、ドルを売って円に替える動きは止まらず、日本は8月28日に変動相場制に移りました。円は1ドル=340円台まで上がっています。
1971年12月18日、米国のスミソニアン博物館で開かれた10か国の蔵相会議で、新しい固定相場が決まりました(スミソニアン協定)。円は1ドル=308円に切り上げられ、変動の幅も上下2.25%に広げられました。
しかし、この仕組みも長くは続かず、1973年2月14日に日本は再び変動相場制に移りました。主要国も同じ時期に変動相場制へ移り、為替の値は市場で日々決まるようになります。
ニクソン・ショックはなぜ起きたのか
固定相場の仕組みは、米国が求めに応じて、金1オンス=35ドルの比率でドルを金と交換できることが前提でした。
1960年代、米国はベトナム戦争や国内の社会保障への支出などでドルを大量に送り出し、世界に出回るドルは、米国が持つ金の量を大きく上回るようになりました。各国がドルを金に替えるよう求めれば、交換に応じきれなくなる状態です。その前提が崩れかけたことが、交換の停止の背景にあります。
ニクソン・ショックのその後
変動相場制のもとで、為替は経済の状況や金利、政策への見通しによって毎日動くようになりました。経済指標の発表で為替が動いたり、行きすぎた動きを止めるために為替介入が行われたりするのは、すべてこの仕組みのうえで起きていることです。
円はその後、長い目で見れば円高の方向に進み、2011年10月31日には1ドル=75円32銭の史上最高値を付けています。360円の時代から見ると、1ドルを買うのに要る円は5分の1あまりになりました。
ニクソン・ショックに近い出来事をこのサイトで見る
このサイトにはニクソン・ショックの1分足はありませんが、為替の値を固定する約束が終わった出来事として、2015年のスイスフランショックがあります。スイス国立銀行が対ユーロの下限を予告なく撤廃し、フランは数分のうちに急騰しました。
変動相場制のもとでも、政府・日銀は行きすぎた動きを止めるために為替介入を行うことがあります。下のカードから、実際の値動きを1分足で見られます。
よくある質問
- ニクソン・ショックとは?
- ニクソン・ショックは、1971年8月15日に米国がドルと金の交換を停止した出来事で、1ドル=360円の固定相場の時代を終わらせました。
出典
- ニクソン・ショック|Wikipedia
- 【1971(昭和46)年8月15日】ニクソン・ショック|トウシル
- ニクソン・ショックとは 金とドルの交換停止、変動相場制へ|日本経済新聞
- スミソニアン協定|Wikipedia
- 10月31日 円相場が史上最高値、1ドル=75円32銭|日本経済新聞
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