プラザ合意とは?1985年の急激な円高をわかりやすく
プラザ合意は、1985年9月22日に先進5か国(G5)が行きすぎたドル高を協調して是正することで合意したものです。合意から1日でドル円は20円ほど円高に動き、翌年7月には150円台に達しました。経緯と、その後の日本経済への影響を解説します。
目次
プラザ合意で何が起きたか
1980年代前半の米国は、物価の上昇を抑えるための高い金利のもとで、ドルが買われ続けていました。ドル高は米国の輸出を不利にし、貿易赤字を膨らませていました。
1985年9月22日、米国・日本・英国・西ドイツ・フランスの5か国の蔵相と中央銀行総裁が、ニューヨークのプラザホテルに集まりました。行きすぎたドル高を是正し、米国の輸出力を高めることを目的に、各国が協調して動くことで合意しました。
プラザ合意で相場はどう動いたか
合意の発表から1日で、ドル円は1ドル=235円前後から20円ほど円高に動きました。その後も円高は続き、翌1986年7月には1ドル=150円台まで進んでいます。
合意にもとづいて、各国の通貨当局はドルを売る協調介入を行いました。1か国だけの介入と違い、主要国がそろって同じ方向を向いたことが、市場の流れを大きく変えました。
1年足らずのうちに、1ドルを買うのに要る円は3分の2ほどになりました。円の価値がドルに対して大きく上がったことになります。
プラザ合意はなぜ起きたのか
当時の米国は、ドル高のもとで貿易赤字が膨らんでいました。主要国が協調してドル高を是正する姿勢を示したことで、市場の流れが一気に変わりました。
米国の議会では、輸入を制限しようとする動きも強まっていました。為替を通じて貿易の偏りを正すことで、そうした保護主義の動きを抑える狙いもあったとされます。
プラザ合意のその後
ドル安は、各国の想定を超えて進みました。1987年2月22日、G7はパリのルーブル宮殿で、今度はドルの下落に歯止めをかけ、為替を安定させることで合意しています(ルーブル合意)。このころ、ドル円は150円台になっていました。
日銀は、円高による景気の落ち込みを和らげるため、1986年1月から公定歩合を下げ始め、1987年2月23日には5.0%から2.5%まで下げました。この低い金利は1989年5月まで続きます。
急激な円高は、自動車や電機などの輸出企業に経営の効率化や海外への生産の移転を迫りました。一方で、輸入品が安くなり、海外旅行が広がるなど、暮らしにも変化が及びました。長く続いた金融緩和は、その後の日本のバブル経済の形成とつながっていったとされます。
プラザ合意に近い出来事をこのサイトで見る
プラザ合意は各国が協調してドル高を是正したものですが、このサイトには、日本が単独で円安を止めようとした為替介入が複数回分あります。介入の瞬間、ドル円が数分で数円動く様子を1分足で見られます。
よくある質問
- プラザ合意とは?
- プラザ合意は、1985年9月22日に先進5か国(G5)が行きすぎたドル高を協調して是正することで合意したものです。
出典
「このサイトの1分足では」と書いた値は、このサイトのデータから読んだものです。