アジア通貨危機とは?1997年に何が起きたかをわかりやすく
アジア通貨危機は、1997年7月2日にタイがドルとの交換比率を固定する仕組みをやめたことをきっかけに、アジアの国々の通貨が次々と暴落した出来事です。韓国やインドネシアにも広がり、各国はIMFなどの支援を受けました。広がった仕組みを解説します。
目次
アジア通貨危機で何が起きたか
当時のタイは、自国の通貨バーツをドルとの交換比率でほぼ固定する仕組み(ドルペッグ制)をとっていました。為替の心配が少ないことから海外の資金が流れ込み、タイの経済は1987年から平均9.5%の高い成長を続けていました。
一方で、輸入が輸出を大きく上回り、経常収支の赤字は1996年に147億ドルに達していました。1997年5月中旬、ヘッジファンドなどがバーツを大量に売ると、タイの中央銀行はバーツを買い支える介入を行います。
7月2日、タイの中央銀行は買い支えに使う外貨準備のドルが底をつき、変動相場制(管理フロート制)への移行を余儀なくされました。
アジア通貨危機で相場はどう動いたか
移行の発表の直後から、バーツは急落しました。同じくドルとの交換比率を固定していたマレーシアやインドネシアにも、通貨の暴落が連鎖しています。
同じ年の9月末には、6月末と比べてバーツは29.1%、インドネシアのルピアは25.7%、フィリピンのペソは23.1%、マレーシアのリンギは22.1%下がっていました。危機はその後、韓国にも広がっています。
アジア通貨危機はなぜ起きたのか
交換比率を固定するには、中央銀行が自国の通貨を買い支えるためのドルを持っている必要があります。市場がその維持は続かないと見て売りが集まり、ドルが尽きたところで、固定をやめざるを得なくなりました。
海外から短い期限で借りたドルを、国内の長い期間の投資に回していたことも、危機を深くしました。通貨が下がると、ドル建ての借金を返すのに要る自国の通貨が一気に増え、会社や銀行の負担が重くなるためです。
アジア通貨危機のその後
タイ・インドネシア・韓国は、IMFや世界銀行、アジア開発銀行などの支援を受けました。支援の条件とされた緊縮財政や高い金利のもとで、各国はマイナス成長に陥り、タイとインドネシアでは政権が交代しています。1999年には、各国ともプラス成長に戻りました。
危機のさなか、日本はアジアの国々で資金を出し合う「アジア通貨基金」の設立を提案しましたが、米国などの反対で実現しませんでした。その考え方は、2000年に日本・中国・韓国とASEANが合意した、通貨を融通し合う仕組み(チェンマイ・イニシアティブ)に引き継がれています。
アジア通貨危機に近い出来事をこのサイトで見る
このサイトには1997年の1分足はありませんが、中央銀行が為替の値を守る約束をやめた出来事として、2015年のスイスフランショックがあります。
反対に、自国の通貨が売られすぎるのを止めようとした出来事として、日本の円買いの為替介入があります。通貨を買い支える側の動きを、下のカードから1分足で見られます。
よくある質問
- アジア通貨危機とは?
- アジア通貨危機は、1997年7月2日にタイがドルとの交換比率を固定する仕組みをやめたことをきっかけに、アジアの国々の通貨が次々と暴落した出来事です。
出典
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